エムPの昨日夢叶(ゆめかな)

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【エムPの昨日夢叶(ゆめかな)】第1994回『求人の応募が40倍!求人に困っている会社は必見の情報に出会った夢叶なのだ!?』[8月15日]

★(1年前…)2020年8月15日の夢叶は、『ミシュランに掲載されている「ドゥイタリアン」へ!』でした。

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プロ野球も後半戦がスタートした。

吾輩が応援している読売ジャイアンツ中日ドラゴンズを相手に3連勝!

幸先良いスタートをきった。

そんな時私の友人社長が喜びそうな情報が舞い降りてきた。

★『求人の応募が40倍!求人に困っている会社は必見の情報に出会った夢叶なのだ!?』

社員が会社に求めることを的確に掴んだ結果!大きく飛躍を遂げていったお話しを少しだけ…。

社員の離職に悩んだ工事会社2代目 本格トレーニングジムを作って求人応募が40倍に

 

ビル、マンションや戸建住宅の防水・塗装などの大規模修繕工事を手がけるスエヒロ工業(静岡県沼津市)は、2代目社長の櫻井弘紀さんが11年前、23歳で代表になりました。失敗を経験しながらも福利厚生の一環で本格的なトレーニングジムを作るなど、働きやすい環境作りに腐心し、「3K」のイメージが強い業界で、求人応募数を40倍、売り上げも約2倍にアップさせました。

和気あいあいの家業にあこがれ

 櫻井さんの父親の末宏さんは建設業界で働く職人で、1987年にスエヒロ工業を設立しました。櫻井さんが幼いころは会社と自宅がつながっていたこともあり、父親と職人がお酒を飲みながら、和気あいあいと話している姿を、よく目にしました。  「父親も社員の方も、明るく楽しそうにしていたのが印象的でした。仕事っていいな、格好いい。そんなあこがれの気持ちを抱いていました」  先代から「後を継いでくれ」というメッセージはありませんでしたが、高校生になると、将来の職業として意識するようになります。建築設計デザインの専門学校に進み、在学中に二級建築士の資格を取得。卒業後はスエヒロ工業の協力会社で、現場仕事を覚えるために働きました。

父の他界で迷いなく継承

 しかし、専門学校で学んでいる時、父親の病気が見つかりました。病状は次第に悪化し、櫻井さんが協力会社に入って1年ほど経ったころ、リスクの高い手術を行う必要がありました。  「家業に入ってくれないか」。手術に臨む前、櫻井さんは父親から言葉をかけられ、その気持ちをくみ取りました。家業に入って1年後、父親は他界しました。後を継ぐことは既定路線でしたが、当時の櫻井さんは専門学校を卒業して2年、家業に入ってわずか1年に過ぎません。  それでも「迷いはまったくありませんでした。誰にも相談もしていませんし、父親の想いどおり、後を継ごうと思いました」と当時を振り返ります。

社員に想いを伝える

 「会社経営は1人ではできません。経営者の考えに共感する仲間がいるかどうかが重要だと思っていました」。後を継ぐことを決意すると、協力会社30社や、自社の社員10人全員と面談を行い、自分の想いを次のように伝えました。  「会社は家族だと考えています。僕は亡くなった父親の代わりにはなれません。ただ、兄弟の長である長男にはなれます。皆さんも兄弟として僕をサポートしてもらいたい」  櫻井さんが伝えたかったのは、先代のように圧倒的に頼れる存在がいなくなってしまったため、これからは誰かに頼るのではなく、自発的に動いてもらいたい、ということでした。  「想いに共感できない」「経験1年の若造が社長就任なんてふざけている」。反発した一部は会社を去りましたが、多くのメンバーは共感してくれました。  「父親が社員と家族のような関係だったからこそ、多くのメンバーに共感してもらえたと思います。改めて、父親の偉大さを感じました」

 

ミスを厳しく叱責「余裕がなかった」

 事業承継はうまくいくかに思えましたが、そう簡単ではありませんでした。社員が次々と辞め、5人いた営業は2人にまで減ってしまったのです。  櫻井さんは代表に就任すると、単に作業を行っていた職人集団的な仕事の進め方から、仕事の獲得から段取りまでを行う、営業・施工会社へのシフトを、先代以上に推し進めました。  先代時代はどんぶり勘定だった予算や原価管理などの経理面も、明確に数値化しました。事業拡大と収支効率化を同時に進めることで、売り上げと利益率のアップを狙ったのです。  これまでの業務スキームに慣れている従業員からは、当然反発がありました。櫻井さんは「売り上げがアップすれば給与に還元できるから」と伝え、納得してもらうよう努めました。  一方で、後を継いだ重圧からか、「一人ひとりが責任を持って自発的に仕事をする」という約束を守れなかったメンバーには、厳しく接しました。たとえば、何か指示がないと動けないメンバーです。ミスについても、同じように厳しく叱責しました。  櫻井さんはもともと、自ら先頭に立ち、背中を見せて共感を呼ぶタイプだったといいます。しかし、本来の人柄が代表になった重責で、どこかにいってしまいました。「当時は余裕がありませんでした」と振り返ります。

社員の顔がつまらなそう

 経営改革に加え、社員に厳しく当たったことで、業績は上がりました。約束通り、社員の給料にも還元し、「厳しいかもしれないが、金銭的な面ではメンバーやその家族のためにもなっているはず」と考えていました。  激務ではありましたが、建設業界は「3K」が当たり前と言われた時代。金銭的なことを考えると、自社はよい環境なのではないか、との思いもありました。  しかし、社員の顔を見ると、皆つまらなそうでした。櫻井さんが幼いころにあこがれた、父親と社員が一緒に和気あいあいとしている家族のような雰囲気ではありません。会社を辞めていく社員も多くいました。  葛藤が5年ほど続いた後、「社員は家族」との言葉を、改めて徐々に見つめ直すようになっていきました。そして、社員が笑って働ける環境を作り出すことが、最も重要な経営施策であると気づいたのです。ここから同社は大きく飛躍していきます。

 

つづく…。

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(エムP)

 

★あなたが、この世に誕生したことが夢叶だった。 

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*1:※ツギノジダイ