★(1年前…)2020年7月22日の夢叶は、『ウイスキーがお好きでしょう!』でした。
東京五輪2020。
開会式を待たずして開幕戦で対オーストラリアと戦いコールド勝ちを収めた日本・女子ソフトボール。
勝利に貢献したのは大エース・上野由岐子投手。
翌日!猛暑の中先発のマウンドに上がったのはまたしても上野由岐子投手だった。
★『上野由岐子投手・39歳の誕生日!自ら白星でプレゼントを勝ち取る夢叶なのだ!?』
7月22日。
13年前の北京大会で、日本を悲願の金メダルに導いたエース・上野岐紀子投手が39歳の誕生日を迎えた。
驚いたことに
昨日(21日)のオーストラリア戦に続き、対メキシコ戦の先発マウンドに上がったのは2連投の上野由岐子投手だった。
3年後のパリ大会、ソフトボールは公式協議に選ばれていない。
上野由岐子投手にとって最後のオリンピックになるに違いない東京五輪。
「ソフトボール人生をすべてこの大会にぶつけていきたい」
誰よりも金メダル獲得に強い意志をもって今大会に臨んでいます。
そんな上野由岐子投手は兼ねてから連投も辞さない覚悟を示していました。
オーストラリア戦の85球に続いて、121球の熱投を魅せた上野由岐子投手。
その背中に鼓舞された打線は延長8回!見事サヨナラ勝ちを掴みました。
なかなか陽の目を浴びることがなかったソフトボールが脚光を浴びたのは北京五輪の金メダルだった。
一気に盛りあがりをみせたソフトボール。
しかし…、五輪の公式競技から外れたソフトボールは徐々に日陰へと追いやられていきました。
目標を失った選手たちから覇気が失われていきました。
13年の歳月を経て…、東京五輪で陽を浴びる機会がやってきたソフトボール!
その間、故障や怪我にもめげず黙々とソフトボール界に貢献しつづけた上野由岐子投手の背中は誰よりも今大会の持つ大きな意義を物語っています。
13年ぶりのオリンピック。先発マウンドを任せた宇津木監督のコメント
「20年間以上、上野に投げてもらった。いや投げていただいた、が正しいかもしれない。上野がいて優勝という夢がかなってきたことを考えると最初のスタートはやっぱり上野しかいないと思った」
「上野がサークルに立ったとき、心の中ですごくうれしく涙もあって。自分自身が上野の成長を18歳からここまでずっと見てきた。感無量、うれしい」
監督の想いに応え見事なピッチングを披露し続ける上野由岐子投手は語る。
「やっとこの舞台に帰って来られたという思いが私自身強い。ソフトボール人生をすべてこの大会にぶつけていきたい」
上野由岐子投手を中心に結束を固めた1チーム!
金メダルを獲得する可能性高し!
ソフトボール・日本の活躍に注目すべし!!
※素敵な記事を発見!合わせてお読みいただければ幸いです。
■ソフトボール上野由岐子、39歳バースデー「金メダルは与えられるものではなく、つかみにいきもの」
鉄腕ウエノが五輪のマウンドに戻ってきた。東京五輪の開会式前日の22日。39歳バースデーの上野由岐子が、2試合連続で先発登板し、日本の連勝発進に貢献した。笑顔がはじける。
「この1勝はかなり大きかったと思います。からだがいっぱいいっぱいだったんで…。39歳をリアルに感じながら投げました」
ソフトボールの1次リーグのメキシコ戦。東日本大震災の被災地・福島のあづま球場だった。赤銅色の土のマウンドで、真っ赤なユニフォームのエースが躍動した。炎のごとく。トシの差が19歳、ハタチの左腕、後藤希友(みう)の好リリーフをあおぎ、日本が延長8回の死闘を3-2のサヨナラ勝ちで制した。
開幕戦の豪州戦(〇8-1)が85球、2戦目のメキシコ戦が121球をそれぞれ投げた。金メダルを獲得した2008年北京五輪の終盤2日間の「上野の413球」と比べるとどうってことない投球数だが、当時より年齢は13歳、加わった。体力的な衰えは隠せない。「若い時みたいに寝たら元気になるというのはもう、ないです」。ソロ本塁打を浴びた。10奪三振、2失点。7回無死1、2塁のピンチで後藤と交代した。
この日朝、上野は宇津木麗華監督から2日連続の先発を告げられた。もちろん、投げる準備はできていた。できるかぎりのからだのリカバリーもやっていた。「誕生日だから投げるのかなという感じでした」と笑った。
連日の気温30数度。マウンド上は40度近くまで上がっていたかもしれない。酷暑の中、試合は1点を争う好ゲームとなった。序盤は初日の反省を生かし、ストライクを積極的にとりにいった。メキシコ打線は、だれもがバットをしっかり振ってきた。「我慢比べだった」と、上野は振り返った。
「やっぱり(日本)リーグでは、体力的に後半、疲れることを感じながら投げていました。こうやって、暑い中で試合するのは、私たちは久しぶりだったんで」
ピンチでの降板は「先輩として、いい状態でバトンタッチしてあげたかった」と声を落とす。その後輩が後続を断ち切った。球に勢いがあった。上野は言った。
「やはり後藤のピッチングを見ていると、自分のハタチの頃を思い出しますね。若い頃、自分もこんな感じだったのかなって。“イケ、イケ、ゴー、ゴー”というか」
この開幕2連戦は、被災地が舞台となった。東京五輪は「復興五輪」とも形容されている。だから、上野は「福島の人たちの思いに自分たちがどれだけ応えられるのか」を意識した。
「一球一球、思いを込めて投げられた。ほんとうに自分が持っているものすべてを、このグラウンドに置いてこられたと思います」
上野は試合後、球場外の記者と交わるミックスゾーンに最後に現れた。新型コロナ対策として、記者との境の白いフェンスからは3メートルほど離れ、記者同士もソーシャルディスタンスが確保されていた。
周辺の森から、セミの合唱がうるさい。話題が誕生日に集まった。「若さを保つ秘訣は?」と聞かれると、白マスク姿の39歳は「モチベーションだと思います」と言った。
「気持ちがすべて。意欲があるから、この年齢でもこうやってプレーできるんじゃないかなと思います」
そのモチベーションを高めるのは?
「やっぱりソフトボールが好きということと、投げていて楽しいという思いからです」
最後に。
神様がバースデー・プレゼントとして、何でも与えてくれるとしたら何がほしいですか、と記者から聞かれた。「え~、何が欲しいだろう」と上野はしばし、考えこんだ。はにかみながら、「自由がほしいです」と漏らした。どこか切ない。
おそらく東京五輪の金メダルと返ってくると想像していた。金メダルじゃないんだ、と記者から言われると、上野は言葉に力をこめた。首筋に大粒の汗が流れ落ちた。
「それは、みんなが望んで、戦っているものなので…。(金メダルは)与えられるものというより、獲りにいくというか、つかみにいくものという感覚です」
心身の強さ。年輪を重ね、打者との駆け引きにも磨きがかかった。金メダルにかける勝負根性もまた気高いのだ。
(松瀬学)
(エムP)
★あなたが、この世に誕生したことが夢叶だった。
あなたの誕生日には、
どんな夢叶があったのでしょう…。
★イケてる大人計画
合わせてご覧いただけると幸いです。