★(1年前…)2020年5月10日の夢叶は、『修三&一茂のイミシンと日々平安art2が面白い!』でした。
とみいさんのブログ!
『日々平安part2』
嵌まってます…、癒されてます。
救われてます。
ありがとうございます。
それでは…、昨日の続きはじまりはじまり…。
★『昨日に引き続き…、「日々平安part2」癒され続ける夢叶なのだ!?』
1年前のブログ読み返して良かった!
とみいさんの『日々平安part2』に癒された!救われたことを思い出した。
少しお疲れ気味のみなさんへ。
とみいさんの『日々平安part2』を処方したいと思います。
■イライラでも気楽な生き方を(2021.04.26)
信念を持って気楽な生き方をする。ある意味…、粋でカッコイイなぁ~。
毎日、うなぎ屋の店先で匂いをかぎながら通り過ぎる男がいたという。その店の主人は、大みそかに男を呼び止めて言い渡した。「毎日の匂い代、締めて6百文になります」と。
男は懐から代金の銭を放り出し、店主に言い返した。「音だけで十分だろう」。江戸時代の有名な小話の『かば焼き』だという。
(こういう話が受ける)古き良き時代が、思わず脳裏に浮かぶ。
旅の歌人といわれた若山牧水さんは、鉄道の旅を愛した。物思いにふけりながら窓際に寄り掛かり、腰が痛くなれば鉄道案内の冊子に目を通し、適当な駅で途中下車をした。旅の時間がとてもゆっくりと流れていくようだ。
<せまい日本そんなに急いでどこへ行く>は、昭和48年(1973年)に流行した全国交通安全運動の標語である。高度成長期の中で人々は忙しく動き回っていた。
全世界で日本の国土面積はわずか0.28%。しかし、全世界で起きたマグニチュード6以上地震の20.5%が日本で発生している。
自分の思い通りにいかないのも人生か。漫画家・水木しげるさんは雑誌にその理由を書いていた。
<この世には「目に見えないもの」と「目に見えるもの」がいて、見えないものが見えるものに干渉するためだ>。だから人は神や祖霊を祭ってきた・・・とも。
<あなたの生涯は過去にあるんですか、未来にあるんですか。君はこれから花が咲く身ですよ>夏目漱石さんは、“花”を用いて人を励ます言葉を小説『野分』に書いた。
そういえば、平成時代の日本で最も売れた歌にも“花”がある。<そうさ僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい>。『世界に一つだけの花』を書かれた槇原敬之さんはお元気だろうか。
さて、名脚本家といわれる向田邦子さんは、自分のことをせっかちな性格と書いた。気がせくときに前を歩く人がのそのそしていると、非常に腹を立てる癖があるそうな。
イライラしないために、向田さんは気がせく場合は(遠回りでも)混まない道を歩くようにしていたという。
<明日にのばせることを今日するな>。こちらは、漫画家・藤子不二雄(A)さんの好きな言葉だという。
「いい方をかえれば“気楽な生き方をしろ”ということで、もし何かで悩んだら呪文のように唱えてください」と、著書『Aの人生』に書いている。
※とみいさんへ!とても感銘したので全文引用してすみません。
■メモを始めたきっかけは明快(2021.04.16)
スマホの復旧でメモを取らなくなったなぁ~。もう一度メモ魔になろう!
もう何年も高校野球のテレビ観戦はしているが)プロ野球をまったく見ていない。ところが、“YouTube”ではプロ野球の面白さにドップリと浸かっている。
長嶋さんや王さんが現役もしくは監督時代にプレイした若手(だった)選手たちが、すばらしいエピソードを余すことなく語っているからだ。
あの時代...個性あるスター選手の宝庫だったプロ野球。多くの選手に興味が尽きない。その中でも私のお気に入りだったのは野村克也さん。
テスト生からスタートした南海時代には「不器用なので変化球にはある程度、球種を絞らないと対応できない」と感じ、捕手の配球の傾向や投手の癖を徹底的に分析し始めた。
南海では戦後初の3冠王も獲得。捕手で4番バッター、監督もつとめた。それでもスター気取りはいっさいなく、「キャッチャーは“捕手”と書くが、私は、投手を助け、足りないところを補う“補手”だと思っている」と<生涯一捕手>を何度も口にしていた。
どんな巧みな打者も7割の確率で打ち損じ、どんな豪腕の投手も失投から逃れられない。ならば失敗する確率を減らすしかない。そのためにデータを集め練習を重ねるのだ、とも。人生の大部分の時間を使い、野球の奥の深さと面白さを世に広めた人である。
「野球は気力1分、体力1分、残り8分は頭ですよ」。精神論が幅をきかせたプロ野球に知の魅力を吹きこんだのも野村さんで、“ID野球”のルーツだ。
監督時代には、選手へ“プレイの根拠”を求め続けた。攻略法を考えれば漫然とプレイはできない・・・と。伸び悩む選手たちをコンバートや起用法などで再生させる手腕は“再生工場”と話題になった。
そして、データ分析はあくまで野村野球の戦略の一つであり、人間を生かすも殺すも言葉次第と、選手の特性を見極めて“勝つ言葉”を与え続けた。
適性を見抜く能力に加え、人心掌握術にも長けている。“野村流再生工場”の先駆けは(先発完投が主流だった南海時代に)阪神から移籍した江夏豊さんを「球界に革命を起こそう」と口説き、救援に配置転換したことだろう。
「不思議なもので、一晩たつと細かいことのほとんどは忘れてしまう」。メモを始めたきっかけは明快だ。
~つづく~
いや~~!
癒される~~~。
活字中毒が蘇る~~~。
吾輩から締めの一言。
「信頼できる人の言葉は心に響く…。」
とみいさんありがとう…。
(エムP)
★あなたが、この世に誕生したことが夢叶だった。
あなたの誕生日には、
どんな夢叶があったのでしょう…。
★イケてる大人計画
合わせてご覧いただけると幸いです。