★(1年前…)2019年10月18日の夢叶は、『阿部慎之助選手・最後の日本シリーズ!スポーツが熱い!』でした。
今年のプロ野球ドラフト会議は…、
例年よりも少し遅い2020年10月26日(月)に無観客で行われます。
毎年、数々のドラマを生んでいるドラフト会議。
今回は、巨人、中日を支えている大エースのドラフトのドラマを紹介します。
★『2020年大活躍しているエース!菅野智之投手~大野雄大投手の隠されたドラフト物語を知る夢叶なのだ!?』
例年であればプロ野球はドラフト会議が終わっている。
そんな時、目にした記事。
■菅野智之、日本ハム1位指名拒否の裏に母の壮絶な覚悟 「どんなに大変なことが起きても…」
まるで世界を敵に回したようだった。
2011年10月27日。東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で行われたドラフト会議。ロッテから始まった各球団の1位指名はいきなり東洋大の藤岡貴裕投手にロッテ、横浜、楽天の3チームが競合する波乱のスタートだったが、その後は順調に指名が進んでいった。
そうして回ってきた8番目の巨人が指名したのは、東海大の菅野智之投手だった。
原辰徳監督を伯父に持つ菅野は、巨人一本の希望を語り、事前に接触した他球団には指名をしないで欲しい旨を伝えていた。その意思の固さに1位候補としてきたほとんどの球団が指名を回避し、他の選手へと回っていった。おそらく巨人の一本釣りが濃厚と言われ、その予想通りに指名は淡々と進んでいくかに見えた。
その中で予定通りに巨人が菅野を指名したこの時点では、まだ会場は凪いだ状態だった。
▶世論を圧倒したのは、菅野は日ハムに行くべきという論調
ところが、である。
巨人の指名が終わった次の9球団目が日本ハムだったのだ。
「第1回選択希望選手、北海道日本ハム……菅野……」
名前が全て読み上げられる前に会場には「ウワーッ」という驚きの声と何とも言えぬ拍手が湧き起こった。
そして抽選で日本ハムが当たりくじを引き当てると、会場はそれを期待していたような大歓声に包まれ、ガッツポーズをする日本ハムファンの姿がテレビでも大きく映し出された。
そこから世論を二分する……いや、世論を8対2か9対1で圧倒したのは、菅野は日本ハムに行くべきだという論調だった。
(※Number Web/鷲田康)
子供の頃から憧れていた『ジャイアンツ』。
ジャイアンツのユニフォームを着てマウンドに立つのが夢だった。
この夢を叶えるため、翌年のドラフト会議まで野球浪人の道を選んだ菅野智之投手。その陰に母の壮絶な覚悟が隠されていた。
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2020年。
セリーグの打者を完膚なきまでに抑え込み!沢村賞有力候補と言われている投手は2人いる。
1人は、開幕戦先発から負けなしのプロ野球新記録となる13連勝を達成し、平成生まれでは初のプロ通算100勝に到達したジャイアンツのエース菅野智之投手。
そして、もう1人は
前回登板14日の阪神戦で今季5度目の完封勝利。連続イニング無失点は36回まで継続中!防御率、奪三振では菅野智之投手を上回っているドラゴンズのエース大野雄大投手。
■中日スカウトが明かす“2010年ドラフトの真相”「なぜ澤村拓一ではなく、大野雄大を1位指名したか」
昨季のドラフトで中日が誰を1位指名にするか、密かに楽しみにしていた。
ドラフトから2週間ほど前、スカウトになって今年で20年目を迎える中日の米村明(現チーフスカウト)から悩める内情を耳にしていたからだ。
「能力なら佐々木朗希(当時大船渡、ロッテ)が群を抜いとる。ジャパンのキャッチャーすら取れない真っ直ぐを投げる投手なんか、そういない。そこだけで行くなら、佐々木指名で間違いない。でも、地元には恐ろしいスラッガーがおるやろ。石川昂弥(当時東邦、中日)。あれは放って置けない。一方で、現場からはサウスポーが欲しいっていうし、それなら河野竜生(当時JFE西日本、日本ハム)がナンバーワン。奥川恭伸(当時星稜、ヤクルト)も当然候補。最後の最後まで、うちの中で揉めるやろうなぁ」
▶「実力が同じくらいなら地元を選ぶ」
愛知に本拠地を置く中日は地元・東海地区の選手を重視している。一昨年は球団の総意として岐阜県出身の根尾昂獲得に執念を燃やした。昨年は東海地区からも近い北信越の奥川という線も憶測が立ったが、素材NO.1の佐々木、現場の声も念頭に入れた中で悩み抜いたドラフトだった。
結局、「実力が同じくらいなら地元を選ぶ」信念を貫き、佐々木、奥川、河野ではなく、石川の指名に踏み切った。
ドラフトでは各球団、こうした悩みが最後まで繰り広げられる。場合によっては選手の担当スカウト同士の鍔迫り合いも行われるほどだ。こっちの選手を指名するべきだ。いや、こっちだ、と。そうして、指名された選手の人生は分かれていく。
▶大豊作だった「ハンカチドラフト」
そんな中日でもっとも運命を左右したのが2010年のドラフト会議だ。世間でも「ハンカチドラフト」と騒がれた話題の年だった。
1988年度生まれの選手が大学4年生を迎えたこの年は、早大の三羽ガラス、斎藤佑樹(日本ハム)、大石達也(元西武)、福井優也(楽天)を中心に中央大の澤村拓一(ロッテ)、東海大の伊志嶺翔大(ロッテコーチ)、佛教大の大野雄大(中日)などが1位候補と目されていた。
(※Number Web/氏原英明さん)
2010年 10月26日。
プロ野球ドラフト会議が行われる。「人生の分岐点」とも言える運命の1日。各球団はどんな“指名戦略”で臨んでいるのか。中日のチーフスカウトが明かしたのは“2010年ドラフト”の内実。あの日、中日はなぜ澤村拓一ではなく、大野雄大を指名したのか――。
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さすがは!『Namber』
鷲田康さん、氏原英明さん、
とても素晴らしい記事をありがとうございました。
2020年の沢村賞。
どちらに輝くのか!?目が離せません。
(エムP)
★あなたが、この世に誕生したことが夢叶だった。
あなたの誕生日には、
どんな夢叶があったのでしょう…。
★イケてる大人計画
合わせてご覧いただけると幸いです。