★(1年前…)2018年5月25日の夢叶は『元祖・つけ麺大王(鮫洲店)の想い出!』でした。
先週末…、宮城県・秋保神社に行ってきました。
今週末も…、宮城県・秋保神社に来ています。
今回は、自らの悪運を断ち斬りたいと思います。
★『宮城県・仙台市は魅力がいっぱい!新たな名湯・作並温泉に出会う夢叶なのだ!?』
毎月、第4日曜日恒例の恒例事業となっている宮城県・秋保神社での悪運斬り抜刀。
今回は、徳島から来訪する仲間と合流するため珍しく前泊することにした。
一足早く、仙台市内に入った吾輩。
いつもなら、秋保温泉でゆったり過ごすのですが…。
新たな名湯情報が舞い込んできたのです。
■作並の道~関山街道
山形-川崎間の笹谷街道、山寺-秋保間の二口街道と並び、山形と仙台を結ぶ道の一つだった関山街道は、現在の国道48号線にあたる。
明治初期までの関山街道はその急峻さゆえ“峯渡り”と 恐れられ、物資の輸送は人夫が担っていたが、明治15年(1882年)に県境を通す関山トンネルが 竣工。その後昭和に入ると交通量の増加に対応するため、さらなる整備が進められ、現在の新関 山トンネルが開通。
現在も山形と仙台を結ぶ重要な道路となっている。
■作並ゆかりの文化人
寛政八年(1796年)の開湯以来、さまざまな文化人に愛され続けてきた仙台の奥座敷・作並温 泉。明治の俳人・歌人である正岡子規は、仙台や塩竈、松島観光ののち岩松旅館に投宿した旅行 記「はて知らずの記」を残している。
また荒城の月の作詞で有名な仙台生まれの詩人・土井晩翠 も、作並温泉をこよなく愛した一人だ。
さらには画家・岡本太郎の父で漫画家の岡本一平、吉田 茂の側近・白洲次郎など、ほかにも数多くの文化人がこの地を訪れ、名湯に癒されている。
■仙台の奥座敷
肌にやさしい泉質と、豊富なお湯、多彩な湯めぐりが楽しめることで人気の美女づくりの湯・ 作並温泉。
仙台の奥座敷と称される温泉地は、古くから地元の人はもちろん、前述した文化人を はじめ、その湯を求めて遠くからも多くの人が訪れていた。かつて芸妓文化が華やかだった時代 には、置屋も点在。
その中の一つが、現在はホルモン焼肉店として人気の『満月』だ。秘伝・傅 四郎のたれで、作並を訪れる人の舌を楽しませている。
■開湯物語 その1
作並温泉には2つの伝説が残されている。
一つは奈良時代、高僧・行基が東北地方行脚の際に 、渓流の響きとともに聞こえてきた仏法僧の鳴き声に誘われて森の斜面に降り立ち、湧き立つ白 い湯気を発見。その効能と湯浴みの仕方を広く人々に伝えたとされる説。
そしてもう一つが鎌倉 時代、源頼朝が藤原氏討伐の際に、傷ついた鷹が温泉につかり元気に飛び立つ姿を見て温泉を確 かめたとされる説だ。いずれも名湯作並温泉の発見伝説として、語り伝えられている。
■開湯物語 その2
その発見後、一部の人だけに秘されてきた作並温泉だったが、地元の住民・岩松寿隆(喜惣治 )がこの温泉を開き、世の人々に分かちたいと藩に切願。
寛政八年(1796年)仙台藩主・伊達斉 村公の時、この願いが叶えられ、喜惣治は巨木を倒し、蔦を刈り、岩山を割り、道を開いた。
さらに谷底に下りる急斜面に階段をつくり、湯壺が完成した時には8年もの歳月が経過。こうして 開湯に至った作並温泉は、今なお多くの人々に親しまれている。
熱々の源泉かけ流しが定番!名湯ひしめく旅館の中から選んだのは!?
元湯・鷹戦泉閣『岩松旅館』
アメニティも充実!とにかく、広い内湯は『不二の湯』
長い~長い~木の階段を下って行くと!
自慢の岩風呂、『新湯』『鷹の湯』『瀧の湯』『河原の湯』4つの露天風呂が待ち受ける。
一番奥にある『河原の湯』は文字通り清流が目の前に流れている。
ちなみに、岩風呂は混浴となっています。
女性の方は、女性専用タイムもありますのでご心配なく…。
ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉・低張性弱アルカリ性高温泉に代表される
ほとんど無味無臭に近い無色透明、弱アルカリ性の泉質は、肌にやさしく、美人の湯として人気を博しています。
毎月1回の悪運斬り抜刀会の愉しみがどんどん増える宮城県仙台市の魅力は底無しのようです。
(エムP)
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★イケてる大人計画
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