★(1年前…)2016年6月19日の夢叶は、
『幻の新橋駅に出会ったひと』でした。
半世紀に及ぶ人生を振り返れると…、
笑顔で振り返れる『過去』もあれば…、
思い出したくない『過去』もあることでしょう。
素敵な過去が蘇ることを願って…、
『東京メトロ銀座線』が年に1度、
「おとうさん、ありがとう」
をテーマに『父の日』に行っている特別運行『終着駅は幻の新橋駅』
とても素敵なイベントだと思います。
素敵な過去が蘇る場所。
あなたも探してみてはいかがですか?
半世紀以上も人生を重ねると…、
予想できる『未来』もあれば…、
予測不能な『未来』もあります。
でも…、
『過去』と『未来』で大きく異なるのは…、
『過去』には変えられぬ現実が残っているが、
『未来』は自らの手で切り開ける可能性がある。
★『過去』と『未来』の往来を使った最高傑作と言えば!?映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ
吾輩の大好き映画ベスト3にランクインしている感動作品です。
1985年公開『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
何度観ても心が躍ります。
世界的にも、超~~話題となった本作。
4年後の…、
1989年
『バック・トゥー・ザ・フューチャーPART2』
とし再びスクリーンに登場しました。
初めてこの作品を見たときには気づきもしませんでした。
『バック・トゥー・ザ・フューチャーPART2』でタイムスリップした、
2015年を自ら体験する日が来ることを…。
映画の世界で描かれていた2015年。
こんな世の中になるなんて想像もしませんでした。
30年が経過して、本当にやってきた2015年。
科学の進歩と偶然の重なりもあってか?
未来予想どおりになっていることも多々あって驚きを隠せませんでした。
この年になって、
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズが新たな楽しみ方を教えてくれました。
自分の人生の過去や未来に往来する創造力を肴にして、自己都合的解釈に酔いしれる幸せ。
こんな夢ある時間を教えてくれたことに深く感謝する作品に進化したのです。
ありがとう。
感謝すべき作品。
今日は、
悲しみを乗り越え…、
美しさに拘り続けた記録で…、
未来にメッセージを残した感謝すべき作品のお話です。
★『「撮影監督ハリー三村のヒロシマ~カラーフィルムに残された復興への祈り~」に出会えた夢叶なのだ!?』
業界と言われるこの世界に…、
あまり信じあえる仲間がいない吾輩。
でも…、頼れる!信頼出来る仲間が居たことを思い出した。
とある相談事があって…、
数年ぶりに再会、
旨い焼き鳥で酒を酌み交わした素敵なお相手はプロデューサー・小西寛さん。
仲間と呼べる数少ない同業者との久しぶりの再会は、
過去と未来の話で盛り上がり、酒量がドンドン増える宴に…。
滅多に飲まない吾輩もほろ酔い気分になるほど、
『酒の肴』=『楽しい話』が満載。
あっという間に時が過ぎていった。
『酒の肴で一番嬉しかったことは!?』
小西寛プロデュース作品が、第44回国際エミー賞 芸術番組部門を受賞したというBIGニュース!!
●国際エミー賞を知っていますか?
アメリカ以外のテレビ番組を対象に、世界のテレビ作品や俳優などに贈られる賞。2003年までは米国テレビ芸術科学アカデミーが主催していたが、2004年からは別団体である国際テレビ芸術科学アカデミー の主催となったテレビ界で最高峰に位置する栄誉ある賞。
世界に胸を張れる作品!
世界中が評価した作品!
いつまでも残したい作品!
テレビ番組を製作した熱きSTAFFの想いが結実した作品に与えられる名誉ある『国際エミー賞』
小西寛プロデュース作品が、昨年開催された、
第44回『国際エミー賞・芸術番組部門』を受賞していたのです。
※一番左が『小西寛プロデューサー』
番組タイトルは!
ノンフィクションW(#214)
★『撮影監督ハリー三村のヒロシマ~カラーフィルムに残された復興への祈り~』(wowow)
え~~~、こんなBIGニュースなのに全く知らなかったです。
なぜ?大々的にニュースにならなかったのだろう??
という素朴な疑問はさて置き、
調べてみると、
★『日本民間放送連盟賞/2016年』テレビ教養番組の最優秀賞も受賞!!
日本が!米国が!世界が認めた作品。
大至急見なくては…、
ということで鑑賞する機会を手配していただきました。
ワクワク!ドキドキ!しながら始まった、
『撮影監督ハリー三村のヒロシマ~カラーフィルムに残された復興への祈り~』
番組冒頭、
『アメリカ戦略爆撃調査団』がカラーフィルムに記録した原爆跡地・広島の映像が紹介される。
色合いが美しい…。
このカラーフィルムに残された映像を撮影したキャメラマンが、
『ハリー三村』
本名『三村明』さん
物語は、日本映画キャメラマンの創始者の1人『三村明』さんの生い立ちを中心にはじまる。
★1929年。日本人として初めてニューヨーク・カメラマン・ユニオンに加入。
★1934年。ユニオンのストライキで仕事が無くなり日本に帰国。
★新型のミッチェルカメラを使いこなせる撮影技師として注目を浴びると、『絹に泥靴』で撮影デビュー。
★ハリウッドで学んだ技術を遺憾なく発揮した新しい照明法やハリウッドで使っているフィルターの有効性を証明。
そして!!
★三村式クローズアップで女優を美しく撮影する革命を起こした!!
★山中貞雄監督の遺作、『人情紙風船』は世界一美しい映画と呼ばれる。
誰よりも美しい映像を撮る、
名実ともに日本を代表するキャメラマンになった。
しかし、
第二次世界大戦が始まると…、
1944年3月。英語力が生かし、札幌、北部軍司令部に配属され短波放送から流れる英語ニュースの翻訳を担当した。
1945年8月。ラジオから流れきた言葉「アトミック・バム」
ヒロシマに落とされた原爆のことを指した言葉だったのだ。
終戦後…、
原子爆弾の威力を調べるために結成された調査団がハリー三村氏のキャメラマンの腕を求めて依頼に来たのだ。
キャメラマン・ハリー三村は、あの日聞いた
『アトミック・バム』
被爆地・広島の緑色が無い世界。目を背けたくなる凄惨な状況が記録されていた。
カラーフィルムに残された映像の中に…、
いつか紐解かれることを願って撮影を続けたキャメラマン・三村明さんの想い…。
『女優を美しく撮影する革命を起こした撮影監督の魂が刻まれていた』
記録撮影の枠組を超え、何度も同じ場面を撮り直した劇映画張りのカットが多数残されていたのです。
このカラーフィルムに託された想い…、
『復興…』
皮肉にも美しく残された、
核戦争の悲劇…。
魂を込めて美しく撮った!
復興への想い…。
世界中の人々に見て欲しいと心の底から感じた素晴らしい作品に出会えた夢叶日。
この作品の製作者の1人
プロデューサー・小西寛さんとお酒を酌み交わす時間と裏話を聞けた吾輩の人生。
まんざらでもない。
黒澤明監督とは、
処女作『姿三四郎』以外は一緒に作品創りをしたことがない。
この秘密も知った…、
「ん~~~、実に面白い!」
ナントか…、一人でも多くの人に見てもらう機会を作れないものか。
「ん~~~、実に悩ましい!」
過去と未来を行ったり!来たり!!した素敵な1日でした。
(エムP)
こんな日だから…、
偶然が…、偶然を呼ぶ。
『未来』
素敵な楽曲だ!!
もう1つ、
隠れた名曲
『FUTURE』
があるんですよね~~。
吾輩が歌いたい…。
【BEM】(バースディー・イブ・ミュージック)
【BGM-IN】「未来」(福原美穂)
★あなたが、この世に誕生したことが夢叶だった。
あなたの生誕日には、
どんな夢叶があったのでしょう…。
★イケてる大人計画
合わせてご覧いただけると幸いです。